親ガチャという表現とどう向き合うか~虐待問題の解決に取り組むメンバーで対談してみた~

2021年9月末に、「親ガチャ」という表現が論争の的となっています。子どもは親を選ぶことができないといったことから、カプセルトイとして有名な「ガチャ」という表現を掛け合わせた造語です。

実際、RASHISAでは主に虐待問題を取り扱っている中で、このトピックについて考えたいと思い、social port運営メンバーのおかしょー・なつ・ごっちゃんの3名がオンライン(Zoom)で集まり30分ほど議論しました。

本記事ではその内容をお伝えします。

Okashoおかしょー

2017年1月に福岡で株式会社RASHISAを創業しました。その後、身一つで上京、様々な失敗をしました。結果的に3年ほど就活領域で事業を行った後、虐待問題×ビジネスをテーマに事業を変え、今に至ります。
人生かけてこのテーマに向き合っていくため、今とっても幸せに仕事をすることができています。皆様、いつもありがとうございます!

Natsuなつ

虐待サバイバーの方と共に作るBPOサービス、「RASHISAワークス」のCS担当。ワーカーさんのお仕事の伴走をしています!

Gotchanごっちゃん

大学・大学院でスポーツ心理学を専門としアスリートの心理的側面の強化に携わる中で子ども・選手を取り巻く環境(大人の資質/コンピテンシー)に興味関心を持ち、日頃スポーツコーチや保護者を対象にプログラムを実施しています。
RASHISAでは主にsocial portのリーダーシップをとっています!

親ガチャという表現そのものはポジティブだが本質的な課題は確かに存在する

なつ

親ガチャという表現そのものに対してムーブメントが起きていて、様々な視点での議論が起きていること自体が良いことだと思っています。

おかしょー

親ガチャという表現はポップに聞こえるからこそピックアップしやすいよね。世の中のトレンドになって明るみになっていなかった事実がでてくるとすごく良いなと思いますね。

ごっちゃん

たしかに、今まで興味関心もってもらいにくかった領域にフォーカスがあたるって、悪いことではないよね。ただ一方で、社会的に本質的な課題そのものが明るみに出た感じもするなぁ。

親ガチャという表現そのものはポジティブ

なつ

親ガチャという表現は個人的には好きです。自分自身が家族のことで悩んだときに、親を恨みたくなったり、逆に環境のせいにする自分がダメな人間なんじゃないかって思ったり、色々な葛藤がありました。でも、どんな家庭に生まれたとしても、そのこと自体は”たまたま”で本人は選べなくて、それって誰のせいでも、誰のおかげでもないんだなと思えてから楽になりました。もっと言うと、自分の親も同じように”たまたま”置かれた環境によって、苦しんできたのかもしれないとも考えるようになりました。

 

自分や親だけではどうしようもできない社会的要因を認識すると、過度な自責や他責をやめられたり、じゃあ自分はどうしたいかと考えられたり、そういった感覚と近いのかなって。

 

毒親という表現もあるけど、字面が強いのと、どうしてもネガティブ要素が前面に出てしまう感じがしますよね。だから、自分の状況を理解するにはすごく分かりやすい言葉なのですが、友達や周りの人にはなかなか言いづらいと思っていました。

 

一方で親ガチャというワードは、比較的くだけた表現だし、その裏にある貧困や虐待などの具体的な課題は特定されないので、広義的に使いやすいのもポイントかなーと思ったりします。やっぱり、家族の悩みって他者に話そうとすると、重たい空気にさせてしまわないか気になって相談しづらかったりするので。

親ガチャ論争は虐待問題に興味関心を持ってもらえるきっかけ

おかしょー

家庭問題に関する興味・関心を持ってもらう上ではすごく良いきっかけなんじゃないかなって思いますね。

 

たしかに毒親という表現だと虐待というニュアンスがとても強いですよね。もちろん、機能不全家族で育った人にとって見過ごせないことではありますが、いろいろな人が気になるトピックとしてはすごく良いのかなと思っています。

なつ

親ガチャという言葉自体は肯定派だけど、そこに救われている人が多い社会というのは、いい状態ではないですからね。この言葉が支持される一つの背景として、家庭環境が起因する機会格差を埋めづらくしている社会構造があると思っています。

 

私たちが取り組んでいる虐待問題でいうと、「虐待の後遺症」に対する福祉は不足しているのが現状です。虐待で傷つけられた人が傷を抱えたまま、ほぼ自力で人生を取り戻さなければならないのが現状で、それってハードすぎるよねってことが知られるといいなぁ。

親ガチャ論争は中・長期的な本質的課題が顕在する

ごっちゃん

お二人の話を聞いていて、短期的にはそうだよなぁと共感しつつ、本質的な社会課題が顕在化しただけなんだろうなぁって思います。例えば、親って誰もがなれるじゃないですか。

 

だから、子育てについて勉強している人とそうじゃない人で明らかに違いがでるなと。だからある種教育格差みたいなものが表面化した言葉に過ぎないなぁと思ったりもしました。

まとめ~編集後記~

改めて親ガチャという表現そのものをRASHISA運営メンバーの3人で話ができたのがよかったなと思いつつ親ガチャという表現においては賛否両論あるなぁと思います。

何でもかんでも親のせいというのはもちろん違うかもしれませんが、社会的・経済的・教育的に親に頼れる環境かどうかで、人生の在り方そのものが変わるなと。

本記事をきっかけに、より良い社会を目指す一助になれば幸いです。

次回はsocial port編集部の虐待被害当事者の声を聞いてみたいと思います。

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この記事を書いた人

social port編集部

虐待被害当事者に役立つ情報発信を中心に行いsocial goodなメディアを目指しています。